社長になるまでの起業ストーリー2〜不登校から自殺未遂まで~

売上コミットコンサルとみたつづみのストーリー

2歳下の妹がいる私は、

小さい頃から、お姉ちゃんとして

常にいい子でした。 

それを求められていたし、

それに応えることが当たり前というか、

今思えば、

応えないといけないと思っていたんだと思います。

おかげで、

しっかりした、成績もいい

いわゆるいい子が出来上がったわけなんだけど、

それはそれで悪いことではないし、

無理やり演じていたわけでもなかったけど、

一番辛かったのは

弱音を吐けなかったこと

これがホントに辛かったです。

今はこれが辛かったとかも言えちゃうわけだけど、

当時はもちろんそんなことも言えないし、

今まで弱音を吐いたこともなかったから、

弱音を吐くことは悪いことと思っていたし、

第一

弱音の吐き方が

わからない(笑)

高校生になった私が

摂食障害になった要因は

こんなことにあったんだと思います。

今では弱音も全然吐けちゃうんだけどね(笑)

不登校になり、

摂食障害になり、

高校3年生の2学期、3学期は

テストの日しか登校せず

それでも勉強だけは

負けたくないという思いがあったので、

自宅でひきこもりしながら

ずっと勉強してたおかげで

成績だけは落とすことなくいたけれど、

なんせ

出席日数が足らない・・・

という状況で

同級生たちと一緒に

卒業ができない

あせる

ってことになったんです

同級生が卒業した後、

ひとりで図書室に何日か登校し、

忘れもしない3月31日に

校長室で、一人だけの卒業式をしていただき

無事卒業

付属の短大にも推薦枠で入れてもらって

今思うと、ホントに先生方には良くして頂き、

恵まれた環境だったんだなと

感謝しかないけれど、

その時のおバカな私は、

こんな短大に行きたくて

勉強頑張って

きたわけじゃない!

私の人生終わったな・・・

なんて生意気なことを思っていたわけですよ

結局自分のことを自分で認められてないから、

与えられてることに感謝もできないし、

そんなんだから

摂食障害も良くならないし、

良くならないから、

また自暴自棄になって、

もう私なんて

生きている価値が

ないんじゃないか

生きていたくない

死んだら、この辛さから

逃れられるんじゃないか

死にたい

ってなっていったわけです。

あああああああ

ホントにおバカ

ホントにごめんなさい

封印してしまいたい過去でございます

この後

自殺未遂を何度繰り返したことか・・・

おまけに

幽体離脱体験まですることになった話は第3章へ